No.187 龍飛岬まで行ってきました!
青森市内まで迎えに来ていただき、
途中セッションしたり、ご飯食べたりして、やってきました、最北端!(津軽半島の)龍飛岬!



”繊維の隙間から風が入ってくるほど風が強い!”

風の岬灯台・・確かに”風”〜としか言えないほどに風強かったです。体感気温-15度ぐらい。




よくみくと”津軽海峡冬景色”(石川さゆり)の歌詞が彫られてあります。
そして二番にこの龍飛岬はでてくるので、赤いボタンを押すと、なんと大音量の津軽海峡冬景色を聞くことができます。週末には混雑するようですが、今日は平日でしたので貸切!

源平合戦の古戦場が多く残る街の出身なので感慨深いものがあります。




もう十分すぎるほどに幸福ですけどね。


だいぶ寒いですからね。



ペンションだいばさん


いかバーグは”想像以上”の味で正直驚きました。
これ、いか使ってますっていわれないとだれもわからないのでは?!


青森の地酒をたくさん扱っています。

なんか違いますが、かわいい。

早朝よりロングドライブお世話になりました!
これからのミッション克服、
がんばってください!
余談
義経寺を参拝して。
平家滅亡の立役者で源平合戦のエース、源氏の若武者、戦の天才・義経。
検非違使の官位を授かってから、兄、頼朝から嫌われ、
朝敵とされて都を追われ、 奥州藤原氏を頼って北上した。
そこでも秀衡の死後、四代目の泰衡に追われて衣川の館で自刃したともいわれているが、、、、 本当のところは誰もわからず、
蝦夷に逃げたというものもあり、大陸に渡ったという説もあるという。
いずれにしても本州最北端のこの岬の(龍飛岬)の突端ちかくにこのお寺があるということは、義経の生は奥州、衣川の戦いではおわらずにまだまだつづいたのではないか?と思わせるのに十分。
実家近くにも源平合戦の戦場跡、古跡が多くあるが、この四国からも鎌倉からも鞍馬からも遠く離れた津軽の地に、
遮那王の気配を感じれる不思議を噛みしめる。
車も新幹線もなかった時代。
徒歩や馬でひとは時をかけ移動した。
その行軍の様子を想像してみる。
荒れた山、橋のない川、厳しい峠道。
それらを超えてこの地にたどり着いた時、(加えるなら、ろくな地図もなかったに違いない)
彼らはどんな気持ちだっただろう。
歴史は
色々なことを教えてくれるが、
時にこうして足跡をたどってみるのも面白い。
今の現代人が
いかにヒューマンスケール、
ヒューマンリズムから離れた生活をしているか。
歴史を振り返し、我が身を、我が生活を棚卸し
してみるのも悪くない。