No.038_b 上五島 後半
昨日に引き続きYさんにアテンドしていただきまして、
今日も上五島巡りを継続!
今日は世界遺産にもいきます!
ちなみにここの周りには何もないので、2食付きのプランにするか、(出たくない人は)何かを買ってから持ち込むか、とされた方が無難です。
夜、朝といただきましたが、夜はコース料理、朝は食べ放題のside-dishがとっても魅力的な洋風ブレックファーストです。
そして特筆すべきはなんといってもお風呂!
ここは何度でも入りたくなるお風呂です!
(面倒くさがりの私ですが、3回行きました!)
露天と内湯がbathroom(大浴場)にニコイチになっており、
お風呂場も東と西に開口部があるので朝日、夕日が眺められます。
さて、以下は以前にinstaにもupしたものの再掲載になります。
五島列島滞在の備忘録として残しておきます。
上五島・下五島を旅して感じたことをつらつらとまとめてみました。
五島列島。
禁教令が敷かれた幕府体制下で、
隠れ切支丹が二百年超にわたり信仰を守り続けたことから世界遺産登録を受けた五島列島、島原、長崎の教会群と集落群。
肥沃な土地もない、
風もきつく、断崖絶壁の岩場が延々続くこの地で教会をつくり、信仰を守ることは決して容易ではなかったはずだ。
それでも何代にもわたり信仰と
教えを守ってきた島の人々の姿。
それは島の教会をめぐる中でも
容易に感じ取れた。
教会に入るとき、
“ツバメが入るけん、扉をしっかり閉めといてな”
とどこからともなく現れたおじいさんに言われたり、当番の人により綺麗に掃き掃除や水やりがされているのだろうと想像できる花壇や教会周辺の様子を見るだけでそこには信仰に基づく(決して商売っ気があるわけではない)愛や温かい気持ちがそこここに感じられる。
観光地というものは
ステレオタイプかもしれないが、
得てして
ーー饅頭とかーーストラップとか、
ーーオイルとかーー石鹸とか、
やりたがるもの。
もちろんそうすることでその地に生きる人々の生活の糧になり、それを求める人たちもなんらかの話のタネになったりしてある種の豊かさの循環は起きたりもする。
ただ、この地五島はちがう。
特に上五島は本当に”落としていくものがない”。
お金を落とそうと思っても一部のホテルと本当に稀にある飲食店ぐらいしかない。
教会には入場料をとるところはほとんどないし、数件のコンビニと自販機くらいしかお金を使うところはないのかも、というくらい、なにも経済的に貢献できるところがないのだ。
この島は信仰の島。
観光地化して物質的にゆたかになることには興味もないのかもしれないし、そもそも世界遺産になったからといって、それがもともとの信仰の目的なわけでもなく、はしゃぐ必要もないことは島の文化をまもってきた先人も今の現役の島民も皆心得ているのかも。
この島は祈りの島。
決して物質的には
豊かではないかもしれない。
ただ、文明社会に溺れて自らの作り上げたスピード地獄に振り回されている現代人、とりわけ都会の人にはとても”得るものが多い”島なのではないか。
この島にはお土産的なものは
とりわけ何があるわけでもない。
ただ、他では買えない大きな気づきと癒しがある。
それは絶対にお土産にできない、渡したくても渡せないもの。
写真では伝えられない、
ファインダーで切り取れない
島だけに流れる空気のようなもの。
これを味わいに人は
また五島行きのフェリーに乗り込むのだろう。
お金的な豊かさを落としたくても落とせない。
でもなぜか沢山のものをもらえる島へ、
いつか、再び。
※写真は五島/島原を舞台にした小説、
遠藤周作の沈黙の文庫本の表紙に、インスパイアされたもの
(小学生の時に読んだとき、 酷く印象に残った)